神奈川新聞 平成19年1月22日 掲載 歯科コラム
江戸時代の浮世絵「見返り美人」。現代人の感覚でいうと、好みが分かれるところでしょう。でも、江戸庶民には大変な人気でした。今で言えば、アイドルのブロマイドで、あこがれの的だったに違いありません。
それにしても彼女、妙に長い顔だと思いませんか。東京に多くのビルが建ち始めたころ、工事現場から江戸時代の庶民の人骨が多数出土しました。顔の骨を調べると、エラが張った、がっちりしたものが多かったそうです。
同じ江戸時代でも大名家の人々の骨格には特異な傾向がありました。二百年以上にわたる殿様や奥方の遺骨を調べると、家系に受け継がれる一族の特徴が残っています。
それは、上下の歯ともかみ合う面がほとんどすり減っていない。虫歯が庶民より多く、歯並びが乱れている。また、ほとんどの人が歯周病にかかっていたことも分かりました。
骨格から顔を復元してみると、上はやや出っ歯で、すっと細くすぼまった下あごを持った顔が浮かび上がってきます。
こうしたことから、江戸時代の上流武士階級の食事は軟食で、砂糖を取る機会が多かったこと、あごの骨の発育が悪く歯列不正を生じていたことなどが推測できました。
鎌倉時代の武士の墓から発掘された人骨には、歯列不正はほとんど見られなかったそうです。
鎌倉時代から江戸時代の約四百五十年間の時を経て、調理法の変化に伴い、固い食物をかみ砕く必要がなくなれば、筋力が衰え、頑丈なあごの骨が不要になるであろうことは想像ができます。
歯のサイズは百年単位では変化しないのに、歯を支えているあごの骨は数十年の単位でサイズや形が変わります。このため、歯列不正に至ると考えられます。
がっちりしたあごの骨を持つ江戸時代の庶民についても、その生活を知る文献や道具がたくさん残っています。そこからのぞける彼らの生活は、武家の生活とは異なったものだったのです。
泰平の世が続き、文化が花開いた江戸時代。着飾って芝居見物にきた大名の奥方や姫君は、江戸っ子たちの目にどのように映っていたのでしょう。
庶民とは生活様式が異なり、顔の形も違う。絶対に手が届かない所にいる彼女たちに向ける江戸っ子の熱い思いが、時代の「美人顔」の典型を生み出したのではないでしょうか。
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横浜市歯科医師会は2月7日、無料口腔がん検診を行う。詳しくは事務局рO45(681)1553。
<隔週掲載>
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